「関東地区女性校長会」研修会における江本勝氏の講演会に関連して

(以下の文章に対する責任は、全面的に長島雅裕にあります)

目次:

  1. はじめに:問題の発端―自己紹介を兼ねて
  2. 校長会からの連絡
  3. 「教育とニセ科学」の「やっかい」さ
  4. では、どうすればいいのか
  5. ニセ科学批判の意義について
  6. 教育関係者のみなさんへ
  7. おわりに
  8. 資料:最初に送付したメール

  1. はじめに:問題の発端―自己紹介を兼ねて

    今回の件(「関東地区女性校長会」の研修会で、『水からの伝言(以下「水伝」)』 の著者、江本勝氏の講演があった)に気付いたのは9月の上旬、入手した月刊 『Hado』9月号を眺めていたときでした。なぜそんなものを入手したのか、か ら、お話したいと思います。

    私自身は基本的には物理屋です。宇宙物理(天文学)の理論をやっています。一方、 トンデモ系の話も好きで、昔から色々読んでもいました(もちろん、批判的に、 です)。

    2006年に、7年にわたるポスドク生活をようやく終え、ここ長崎大学教育学部で 拾っていただきました。それまで過ごした理学系の学部・研究所とは勝手も違い、 また、いわゆる「雑用」でとても忙がしく、研究時間を確保するのもままなりま せんが、教員養成に直接携わることになった以上は、「未来の教師」にニセ科学 に対する耐性をきっちり持ってもらうようにすることが私の責務だとも考え、い ろいろと取り組んでいます。

    たとえば、小学校コースの学生全員が受講する授業で、気象に関する実験の一つ として、平松式人工雪発生装置を使って、「水の結晶」を作ってもらったりして います。興味ある方は、配布しているレジュメを御覧下さい(PDF file, 847KB)。また、新課程(いわゆるゼロ免コース) 対象の授業では、3〜4コマ分時間をいただいて、ニセ科学の話をしています。 2007年度分のスライドがこちらにあります。 →「情報社会と科学」

    このように公の場で授業をし、ウェブで公開するくらいですので、当然、資料も 彼ら(ニセ科学陣営)のものを集め、脇を固めるようにしています。『Hado』を時々 買っているのも、そういう資料としてです。

    さて、当該記事を読み、これは困ったと思っていました。そのうち、ネット上で も話題になってきました。当初は憂えるような記事が多かったと思いますが、そ のうち、ただ単に校長会や学校を叩き、否定するだけに見えるようなものも散見 されるようになり、これではまずいと思うようになりました。ニセ科学批判をど のような立場からするかは、批判者の興味関心に基づいて多様性を保持しつつ進 めればいいと思っていますが、もし今回の件で私が何かをするならば、立場上 (教育学部で教員養成に関わり、なおかつニセ科学についてもそれなりに詳しい)、 私が直接コンタクトを取るべきだろう、と考え、とりあえずは連絡先が公開され ている、全国公立小・中学校女性校長会の事務局にメールを送りました。メール の全文は、このページの末尾につけています(→こちら)。

     

  2. 校長会からの連絡

    しばらくして、全国の事務局の先生から連絡をいただきました。関東地区の役員 の方にメールを転送していただき、地区の役員の方から連絡を入れます、という ことでした。

    その後、すぐに関東地区の役員の方から電話をいただきました(なにせ展開が急 でしたので、私の方も、お話する項目をきちんとまとめておかなかったなど不十 分な点が多かったのは反省点です。それに日常はほとんどメールでしかやりとり しないので、電話の応対は不慣れだというのも認めざるを得ないところです)。

    30分近くお話したでしょうか。かなりつっこんだ話もしました。江本氏を呼ぶこ とになった経緯についても簡単ですが教えていただきました(その話はここでは しませんが)。電話をいただいた校長先生からは、御自分の人生経験に基づいた 様々なお話を聞かせていただきました。学校での子どもたちのの実情についても、 色々と教えていただきました。そして、保護者との良好な関係も構築し、地域社 会における学校運営に腐心される姿がよく伝わってきました。大変感銘し、むし ろ私の方が学ばされたと言っても過言ではないでしょう。お話を聞きながら、水 などに頼らずとも、「ありがとう」と言うことの大切さは子どもたちに十分伝わ るのではないか、と思いました。

    焦点の「水伝」に関しても、私が送ったメールで様々な問題点があることに気付 いたとおっしゃっており、話をする中で、ああ、これはちゃんと伝わったのだな、 と思い、安心しました。

    私の方からは、メールで指摘した点の他に、たとえば「ご飯」を使った「実験」 *1 の話などもしました。これは家で簡単にできてしまうので、ちょっと気のつく子 ならば、クラスメートの名前を書いたりするようなことも思いついてしまうだろ う、そこでご飯が汚く腐ってしまったら、どれだけ悪影響を及ぼすか、といった 話もしました。

    話をした校長先生は、今後の役員会でも問題点について話をしてみるとおっしゃっ ていました。「禍転じて福と為す」ではありませんが、先生方の手で、「ことば」 や「道徳」、「科学」について考えを深めるきっかけになればと私は願っています。

    以上の話を通じて、私自身は、基本的に問題意識は十分伝わったと思っています。

    その一方、なにか教育にまつわる事件が起きれば、メディアによるバッシング やそれに悪乗りしたとしか思えないまったく無関係の第三者による中傷など、 校長をしていれば経験したり耳にしたりします。今回の件でも、どう対応した らいいのか相当悩まれており、下手に動けば学校ばかりか子どもたちにまで迷 惑がかかるかもしれない、と危惧しておられるのも感じられました。そうであ れば、まずは、私が経緯と問題点を、私なりの視点でまとめた方がよいだろう、 と思って、このページを書いています。

    ですので、ここに書かれていることについては、私(長島)に一切の責任があると いうことを、改めて表明しておきます。

    なお、「話をして終わり」ではなく、今後もなんらかの形でフォローをしつつ、 今回の件がどう活かされていくかを見守っていきたいと思っています。今回お 話をした先生にはわかっていただけても、他の校長先生方にはまだ江本氏の影 響が残っている可能性があります。江本氏の主張が浸透したままでは、子ども たちにとっても社会にとっても、とても悪い影響を与えますので。

     

  3. 「教育とニセ科学」の「やっかい」さ

    さて、当初送ったメールでも書きましたし、実際に話をして確信になりましたが、 この校長先生も、おそらく大多数の現場の先生も、情熱をもって善意で教育にあ たられていることは疑いのないところでしょう。

    しかし、善意だから良い、とならないのもまた当然です。科学だろうがニセ科学 だろうが、善意に乗っかれば強力に推進されます。「善意であること」と「科学/ ニセ科学を推進すること」になんの関係もないのは当たり前の話です。

    しかし、そういった情熱があって教育(特に小学校中学校段階での)がまわってい ることも確かでしょう。ですから、教育現場に絡んだ話をする場合は、「関係な い」と一言で済ますわけにはいかないのもまた現実です。それでも、理科や算数 といった教科の内容についてであれば、これは正しい、間違っている、で話が済 みます。研究者の世界と同様に。でも、教育ってそれだけではないのです。特に 小中学校では、教育と教師自身の生き方とは完全に切離せません。授業以外の場 での「教育」の重要性を無視するわけにはいきません。

    こうなると、もう教科書などはない世界です。研究者ならば、自分が良く理解し ていることだけを言い、あとはよくわからない、で済みます。というか、それが 研究者としての誠実な態度です。でも、それでは済まない世界があるわけです (よく知りもしないことを言っていいという意味ではありませんよ)。

    たとえば、子どもたちの言葉遺いがとても荒れています。いえ、荒れている子ど もたちがいる、というべきでしょう。そのような子どもたちに対し、なにかして もらったら、きちんと「ありがとう」と言える習慣をつけることは大事な教育で はないでしょうか。感謝の心を言葉にしたり形にしたり、という発想を持つこと は、大切ではないでしょうか。

    無論、高等教育を受けるような段階になれば、行為や感謝の念を相対化すること を学ぶのも大事でしょう。社会人になれば、自分が表現してほしいような形で感 謝の念がなくても、気持ちを汲むということも(おそらく)重要になるでしょう。 でも、まだ小さい子どもたちに、それは早過ぎます。まずは、どういう場合に 「ありがとう」と言うのか、それを身につけることが大事ですよね。

    そのような状況で、なんとかきちんとした言葉遣いを身につけさせたくて、それ を一見サポートしてくれるように見える「水伝」に飛びつく気持ちはとてもよく わかります(これもネット上のあちこちで、昔から言われていましたよね)。

    おそらく、これを読まれている方には今更わかりきったことだと思いますが、あ えて繰り返します。子どもたちをなんとかしたい、より良い教育をしたい、とい う情熱が、負の側面に気づく前に「水伝」に行く原動力になっているわけです。

    ここに、「水伝」に限りませんし、「ゲーム脳」なんてまさに同じ構図だと思い ますが、教育にニセ科学が浸透しやすい土壌があると思います。と同時に、切離 せないだけに、問題はやっかいなのです。

     

  4. では、どうすればいいのか

    *以下は一般論です。今回の対話以前から考えていたことです。

    正直言って、わかりません。とても難しい、「やっかい」な問題です。現場の先 生方が御自分で全部気付くことができれば、それが理想であることは当然です。 しかし、ニセ科学側のキャッチーなコピーが氾濫し、またメディアでも思考停止 を煽るような記事・番組が多い中、荒れる子どもたちや無理解な保護者、少ない 人員・予算、膨大な書類を相手にし、また何かあればすぐに現場のせいにされ、 バッシングが始まる(多くの先生方は対岸の火事とは思えないでしょう)状況で、 気付けと言っても無理があるでしょう。なんせいまの日本社会の矛盾が集中して いるのです。

    どうしたらいいのかわかりません。ですが、とりあえず、批判の声を上げていま す。私の立場からだと、

    とまあこんなところです。

    ただ、今回の件をきっかけに、色々な形で、現場へのサポートができればいいな と思っています。他にも考えていることはあるのですが、なかなか一人では難し いですね。

    ちなみに大学の他の教員でも、色々な立場からニセ科学に関心を持ってらっしゃ る方は結構いるのですが、みなさんとても忙がしいので、なかなか動けないのだ と思います。私はまだ来て3年目だし、要職についているわけでもないので、な んとかできていますが。

    現場の教師にも、もっと考える余裕が与えられるべきだろうと思います。上でも 書いたように、余裕があれば気がついたことが、余裕がないばかりに気がつかな いということはあるのではないでしょうか。

    最後にもう一つ、あらためてお伝えしたいのは、学校を孤立させてはならない、 ということです。教育は社会の未来をつくるものです。決して、個々の児童生徒 の未来だけではありません。我々の将来も、学校教育に大きく依存しているわけ です。

    であるならば、社会としてどう学校をサポートできるか、考えられなければな りません。もちろん当然のことですが、全員が全員同じように考え、行動しろ、 というわけではないんです。ただ、そういう認識は、片隅にではあれ、明確に 持っていて欲しい(あくまでも希望ですが)。

    現在、ようやく、地域であるとか、あるいは家庭での教育の見直しが言われるよ うになってきています。が、実際はなかなか難しいところがあります。それでも、 現場の先生方は、保護者や地域の人々と一緒になってがんばっておられます。実 際、私もいくつかの小中学校を訪問して、そういう場を見学させてもらいました。

    ニセ科学問題も同じだと思うのです。教育を、地域を良くし、子どもたちのため にという視点で、批判すべきは批判しつつ、協力しあえるような状況が望ましい と思います。ただ、ニセ科学には専門性がつきまとう部分もあります。たいてい のニセ科学は「なんかおかしい」と直感的に思っても、なかなか「こうだからお かしい」と言えるのは難しいと思います。ましてや先生相手に。

    そういった意味でも、私のような立場の者が、もっといろいろやらんといかんの だろうなあ、と思っています。

     

  5. ニセ科学批判の意義について

    今回は私が直接お話をして、結果的に良い方向に話がすすんだ(と私は思ってい ますが)わけですが、直接話をしなければ意味がないのか、というと、もちろん そうではないだろうと思っています。

    私自身も考えがまとまっているわけではないので、いくつか項目だけ示します。

    もちろんそんな簡単に答が出るものではありません。私としては、様々な実践を 通じて、考える材料を提供できればと考えています。

     

  6. 教育関係者のみなさんへ

    というわけですので、私にできることがあれば、なにかサポートしたいと思っ ています。メールか、学部の事務経由で電話をしていただければ、と思います (メールの方がありがたいです。電話番号はウェブ上では公開していませんの で、すいませんが事務にお尋ね下さい。公開していない状況でさえ、マンショ ンの勧誘とかかかってくるのですよね)。

     

  7. おわりに

    私がわざわざこういうページまで作成したのは、ネット上で「ちょっと違うんじゃ ないか」という批判を散見するようになったから、というのが大きいです。たし かに江本氏を招いて講演会を開催したのは大問題ですが、だからと言って、現場 を切って捨てていいということにはならない。話せばわかる(方もいる)というこ とをお伝えしたい。

    実際、私がkikulog の 場をお借りして(菊池さん、ありがとうございます)簡単な報告をしたあと、い くつかのブログで私と似たような立場でエントリを書かれているものを目にし ました。大変心強く思っています。私がお礼を言うのも変ですが、ありがとう ございます。

    この文章の後半は、もうほとんどあちこちで議論されてきたことの繰り返しです。 善意、ニセ科学批判批判、万能の方法はない、優先順位問題、等々、すべて踏ま えて書いたつもりです。

    御意見・御批判等あれば、お知らせいただけると有難いです。その際、私も一応 研究者ですし、私の善意を汲み取る必要は一切ありませんので念のため。

    最後になりましたが、対応していただいた全国の事務局の先生、今回電話でお 話させていただいた先生に深く感謝致します。今後の対応に期待しています。 また、私がニセ科学の問題を単なる趣味以上のものにするきっかけになったの は、大阪大学教授の菊池誠さんのブログ「kikulog」 の影響が大きいです(kikulogがkikulogになる前から読んでいます)。M1の時に 受講したカオスの講義(大変面白かったです…もう10年以上昔ですが)へのお礼 と合わせて感謝したいと思います。最後に、個別のブログ名までは出せません が、普段私がお世話になっている、ニセ科学批判にコミットされている方々に、 深く感謝いたします。

    そして、この私の拙く長い文章を読んでいただいた皆さんに、深くお礼申し上げ ます。ありがとうございました。

    2008年10月4日 長崎大学教育学部 長島雅裕
    E-mail: masahiro_at_nagasaki-u.ac.jp (_at_をアットマークに変えてください)


*1この実験の内容がわからないという連絡をいただきま したので、その典型的な例を簡単に説明します。ご飯を3つのガラス瓶に入れ ます。一つには「ありがとう」と書いたラベルを、別の一つには「ばかやろう」 と書いたラベルを貼り、残りの一つには何も貼りません。ラベルを貼ったビン には、毎日「ありがとう」あるいは「ばかやろう」と声をかけます。一ヶ月く らいして、中のご飯がどう変化しているかを見ます。

報告されている例は、「ありがとう」と声をかけたご飯は発酵し芳香を発する が、「ばかやろう」と声をかけたご飯は腐敗する。さらに何も声をかけなかっ たご飯はもっとひどい状態になる、というものです。ここから、「無視」や 「シカト」は「ばかやろう」と言うよりひどい、という結論を導きます。

無論、こんな「実験」に科学的な意味はないのですが、夏休みの自由研究でも 簡単にやれてしまいます。もし、子どもがクラスメートや先生の名前を書いた り言ったりしたご飯が腐ってしまったら?特定の宗教や国の名前だったら?想 像するだけでもおそろしいことです。

なお、江本氏主宰のIHMでは、一時期、「ごはんに声かけ実験キット」を販売 していました(現在は売り切れのようです)。

興味のある方は、「ご飯に声かけ実験」で検索(クリックしてください)してみてください。実際に実験 された方の報告も見つかると思います。江本氏らの言うような都合の良い結果 ばかりになるわけではないことがわかると思います。(10/7追記)


全国公立小・中学校女性校長会 事務局 御中

前略 二学期も始まりご多忙のことと存じます。

突然のメールで失礼いたします。私は長崎大学教育学部で天文学・気象学を中心
に教えている長島と申します。最近目にしたある雑誌の記事に関して、教員養成
に携わる者として看過できないことがありまして、僭越ながらメールを差し上げ
る次第です。

「水からの伝言」というお話を御存知でしょうか。江本勝という人物が中心に
なって広めている話です。簡単に言うと、水に「ありがとう」などの「良い」言
葉をかけて凍らすと「美しい」結晶を作り、「ばかやろう」などの「悪い」言葉
をかけると「汚い」結晶を作る、というものです。このこと自体は、すでに科学
的には否定されており、人間の言葉や感情が結晶の形に影響を与えることはない
ということがわかっております。未だにこのような主張をすることは、心霊現象
などと同等の、オカルトの類と言ってもいいでしょう。

ところが、数年前から、全国の小学校で、道徳の授業を中心に、この話が浸透し
つつあります。つまり、「人間の体の7割は水でできているので、良い言葉を使
いましょう」と指導するのです。

すでに様々な場所で指摘されていることですが、これには大きな問題がありま
す。簡単にまとめますと、(1)科学的に間違っていることを教えていること
(理科教育的な問題)、(2)文脈から切り離された単語に、それ固有の「善
悪」の意味を付与するという間違ったことを教えていること(国語教育的な問
題)、(3)道徳という人間の極めて高度な精神的・文化的活動を、水の物性に
従属させるという問題(道徳教育的な問題)、となろうかと思います。人間性を
貶める教育と言っても過言ではありません。


私は大学の授業でも「水からの伝言」を取り上げることがありますが、そのため
の資料として、彼らが発行している書籍・雑誌等にも目を通しております。その
中で、最近目にしたものが、冒頭で述べました雑誌、月刊『Hado』(9月号)と
いうものです。このメールに当該部分(p.42,43)をスキャンしたものを添付して
おりますが、お読みになればおわかりのように、7月の関東地区総会におきまし
て、江本勝氏が講師として呼ばれ、講演をし、さらに彼らの間違った主張を織り
込んだ絵本を小学校に配布したと書かれております。

もしこのことが本当であれば、教育に与える影響は甚大です。外部からの教育へ
の不当な介入の口実を与えることにもなりかねません。なにより子どもたちへの
影響が心配です。

この雑誌記事を目にしまして、抗議したり疑問を呈した校長先生はいなかったの
か、反響はどうだったのか、実際に絵本は子どもたちに配布されてしまったの
か、校長先生から子どもたちや保護者の方々へお話があったのか、等々、多くの
疑問が湧いております。今回の事件について、事務局の先生方から関東地区の先
生方へ、なんらかのアプローチをお願いすることはできませんでしょうか。

もとより講演会を組織された先生方の善意を疑うものではありません。御多忙な
中、少しでも良い教育をされようと努力された結果なのであろうと信じていま
す。しかし、残念ながら、善意の努力が常に正しい結果を生むとは限らないとい
うこともまた真実です。今回の事件をあいまいにせず、むしろ、科学とはなに
か、道徳とは何か、といったことに踏み込んだ考察を教育現場で行うきっかけと
し、外部からの介入ではなく、現場の先生方の努力により自らの手で前向きに解
決されればと願っております。

乱文・乱筆大変失礼いたしました。雑誌記事を目にしまして、狼狽した、という
のが正直なところです。問題が大きくなる前に指摘するのが教員養成に携わる者
の責務だろうと思いまして、メール致した次第です。
(このメールは自由に転送していただいて構いません)

御多忙中の折、大変申し訳ありませんが、なによりも子どもたちのために、御検
討のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
会の益々の御発展をお祈りしております。

長崎大学教育学部 長島雅裕

Last modified: Tue Oct 7 14:56:16 JST 2008
since 24 April 2003