「情報社会と科学」(2008.12.8実施)での質問・感想等にたいするコメント
すべてに対してコメントできているわけではありません。ご了承下さい。
※質問文については、こちらで要約・改変してありますので、原文のとおりで
はありません。
参考:2007年度のコメント
- どんな現象にも原因があるはずで、超能力などはマジックにしか見え
ない。私が超能力を信用できないのは、私自身がそのような不可解な現象に
直面したことがないからなのだろう。
- 「超能力」などと言われれば、まずは「トリックがあるはず」と疑ってか
かるべきですね。一流の手品師によるマジックは、目の前で見て
いてもタネがわかりません。手品師がやるから手品だと思うわけ
ですね。自称「超能力者」のやることも、タネが見抜けないから
と言って超能力だと重ってしまうのは早計です。
また、「この目で見るまでは信じられない」というのは実は危険で、
まさに「原因があるはず」と考えることが重要です。自称「超能力
者」のトリックを暴くのは、科学者よりも手品師の方が得意なので
すね。どんなタネを仕掛ければこういうことができるか、具体的に考えるこ
とができるので。
- 信じる信じないは個人の自由であり、間違ったことであってもその人
が信じていればそれでいいのではないか。大切なのは、正しいこと
なのか、信じられるものなのか、自分でしっかり考えることなので
はないか。
- 何を信じるかは完全に個人の自由ですから、それはその通りですね。「愚
行権」として語られることもあります。しかし、我々は一人で生
きているわけではなく、社会を構成して生きています。様々な形
で影響を与えあって生活しています。ですから、なにが正しいの
か、それは信ずるに値するものなのか、しっかり考えてほしいと
思います。
また、発信側に立つのであれば、他人にすすめられるだけの正しさ
や価値があるものなのか、きちんと検証してほしいと思います。
- ものにも人にも魂があり、それ、またはその人独特の波動を発してい
ると思う。だから「この人とは波長が合う」などと思うことがある
のではないか。
- 「魂」についてはともかく、物理学的な「波動」を発しているということ
はありません(体温に相当する赤外線[電磁波]は誰でも発していますが)。「波
長が合う」というのは、単純な「波動」による物理的な相互作用ではなく、もっ
と高度で複雑な人間の精神活動のなせる技ではないでしょうか。
- ニセ科学と言われることが世の中には沢山あるが、科学で証明できな
い事は必ずあると思う。
- まず、科学で証明するべきものなのかどうかを見極める必要があります。
つまり、事実関係についてなのか(科学的命題)、価値判断に属する問題なのか
(価値的命題)を区別しなければなりません。「どう生きるべきか」などの問題
には科学は答えてくれません。なにが正しい生き方なのかも科学で証明できる
ものではありません。それは価値観に属することだからです。科学は判断材料
は提供できますが、判断そのものは別の論理でなされるべきです。
次に「ニセ科学」ということの意味ですが、少なくともこの講義で「ニセ科学」
と言う場合は、(1)間違っていることが科学的にすでに証明されているにもか
かわらず、正しいと言い張るもの(血液型性格判断など)、(2)まだ正しいのか
間違っているのか科学的にはわかっていないにもかかわらず、正しいと言い張
るもの(マイナスイオンは健康にいい、など)、(3)そもそも科学的には荒唐無
稽なもの(「水からの伝言」や各種の「波動」など)、です。彼らの言うところ
の「波動」が将来科学で証明されることはありません。
- メディアで取り上げられると嘘も本当のように思えてしまう。メディ
アは視聴率を気にするので(自己)規制ができないのでは。
- 確かに視聴率競争や販売部数競争に追われるメディアにとって、その中身
についての検証はおろそかになりがちです。ですので、我々自身が、社会の一
員として、そんなことではダメだと声を上げていく必要があります。
幸い、民放が作る日本民間放送連盟
という団体があります。ここが定める「放送基準」というものがあり、その中に第8章「表現上の配慮」、特に
(53)迷信は肯定的に取り扱わない、(54) 占い、運勢判断およびこれに類する
ものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない、(57)
医療や薬品の知識および健康情報に関しては、いたずらに不安・焦燥・恐怖・
楽観などを与えないように注意する、といった文言があります。
また放送倫理・番組向上機構(BPO)へ
番組への苦情等を申し立てることができます。またあまりにもひどいものにつ
いては、「勧告」を行うこともあります。
これらを根拠にして、メディアを社会的に監視していく必要があるでしょう。
国民の批判がなくなりメディアを暴走するにまかせておけば、政府による介入
を招き、言論・出版の自由が脅かされるという事態にもなりかねませんから。
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Last modified: Fri Dec 26 18:20:08 JST 2008