最初のページ 戻る 次へ 最後のページ 目次 図
まずは通説を
- 12.12 南京防衛司令官([国民党]中国軍)撤退命令
- 南京死守を唱えていたため退却が遅れた
- 10数万の防衛軍が取り残され、組織が崩壊、バラバラに逃げたり投降したりした
- 大量の捕虜の殺害が発生(記録の多くが廃棄されてしまったため、詳細は不明。しかし残された戦闘記録や日記などから多くの部隊で殺害があったことは明白)
- 12.17 「入城式」
- これに先立ち、城内の「掃蕩」を行った(難民20万人が逃げた国際安全区を含む)。兵士の「疑い」のある者を処刑していった(額の日焼けの跡などから勝手に判断)
- 南京は当時の首都のため、多数の外国人が存在
- 南京安全区国際委員会がつくられ難民区(安全区)が設定
- しかし掃蕩時に多数の殺害・略奪・強姦が発生
- この「反省」により「慰安所」が作られるようになる